理学療法士として働いていた時というのは、すごく自由を求めいた自分がいました。とにかく縛られたくない。朝はゆっくり寝ていたいし、疲れた時は休みたい、旅行に行くのも有給や公休を考えることなく行きたい、残業もしたくないし、自分の好きなことを優先できる自由がほしい。

こんな風に会社からの解放や時間からの解放を自由の定義として思っていた自分が、今では会社に属し、時間の制限がある不自由をこよなく愛するようになっています。むしろ、不自由の中にある自由を追い求めていると言ったほうが正しいかもしれません。

簡単に言えば、あれこれと仕事があって時間に追われている中で、自分が何を成し遂げられるのか、何ができるのかを考えることにやりがいを感じていると言った感じでしょうか。

ここ最近、本当に将来に危機感を覚える人が爆発的に増え続けています。ニュースでも、そういった類いの情報が飛び交っていますし、現実的に今まで普通に会社員をしていれば良いと思っていた人ですら、何かしらで収入を増やさなければと感じるようになっています。

そんな風に現状を変えようとする行為自体は、とても素晴らしいことだと思いますし、僕自身も推奨するくらいです。

ただ、その道のりの中で、自由になることとお金を稼ぐことは、まったくもって別ものだということを認識すべきだと思うのです。

よく会社に縛られず、自由になって、その時間を使えば、お金を稼げるようになると言って仕事を辞める人もいますが、

また、お金を稼いだからといって、自由かというと、それも半分正解で、半分間違いです。

半分間違いの理由ですが、お金を稼ぐということは、合理的な生産活動であり、社会に対して何かしらの価値を提供していくものでなければならないわけです。その対価といてお金をもらうというものですよね。

ですが、自由というものは、合理的なものではなく、本人の考えに影響される不確定要素の強いものです。簡単に言えば、今の自分よりも自由に感じる他人の生活を見れば、その人のことを自由人と思うでしょうし、今の自分よりも忙しそうに見えれば不自由と感じるという程度のものなのです。

今の自分の状況(会社に勤めているなど)よりも自由だと感じる生活を求めて、仕事を辞めても、お金を稼ぐという行為が合理的に行なわれていなければ、時間が増えたところでなんの効果も生みません。時間ができたことと、お金が稼げるようになることはイコールではないんです。

また、お金を稼いだからといって、それが合理的ではなかったり、はたまたお金を稼ぐ行為によって時間を奪われたりするわけですから、お金を稼ぐという行為が自由になれるとはイコールではないのです。

つまり、自由になるということとお金を稼ぐことは、近しいものに見えて、全然違うものだとということです。

僕も経験がありますが、脱サラして、社会に縛られなくなった時、僕自身は怠惰になりました。というよりモチベーションが上がらなくなったんですよね。いわゆる目的を見失ったという感じでしょうか。

社会から縛られなくなったということを目的としたら、そこから先の未来が見えなくなったんです。理由はいくつかありますが、あまりにも自由度が高過ぎて選択肢が無限大に広がり過ぎて選べなかった、社会という土台の上に自分という存在を定義するものがなくなったために不安になった、(○○会社の栗田とか、○○代表の栗田とか)、何をしても自分の行動に対しての責任が全て自分に降りかかり、そのリスクにビビって行動できなかったから、などなど

まぁ一言でいえば、俺って何?僕は誰?状態に近いかもしれません。

その結果、僕は理学療法士時代よりも不自由だったと思います。これなら、まだ普通に働いていたほうが良かったかも!!って思ったこともありました。

じゃあ、お金を稼げるようになったらどうかというと、これまた不思議で、今度はお金を稼ぐ行為に縛られたり、合理的に行なわなかったことで、自転車操業のように、日々追われる生活になったんです。

どっちも、自由ではなかったんですよね。つまり、お金を稼ぐということと、自由になることを混同してしまい、自由になればお金が稼げると勘違いしてしまったし、お金を稼げば自由になれると勘違いしてしまった。自由という名の不自由とは、そういう勘違いから起こるものであり、僕は体験からそれを学びました。

だからこそ、今の将来的な危機感を感じていたり、今の生活に満足できず、何かからの解放を望むのであれば、まずは、しっかりお金を稼ぐことを合理的に行なえるようになることを最優先事項として捉えるべきなのです。

これは安直にビジネスをしろということではないのです。ビジネス活動を合理的に正しく行なえる自分自身になるということです。そのために学び、実践し、正しく活動していくことが何よりも大事だということです。何が正しいかは、当然ですが、結果ですね。そして、結果を出し続けるということです。結果が出ていない、もしくは出し続けられていないということは、今の自分の活動は全て真逆の行動をしていると考えて間違いありませんから。

そのうえで、自分にとっての自由の定義をもう一度見直してみると良いと思います。自由という幻影に惑わされて不自由になるのではなく、不自由という現実の中で、限りなく自由という行為を増やしていくことが一番自由に近いと思うのです。なぜなら、自由なんて、他人より自由であれば、それだけで自由だと言われてしまうくらい不確定なものなわけですから、他人の自由に踊らされるのではなく、自分自身の本当の自由を追い求めるべきだと僕はそう思うのです。

では。

生きるも死ぬも自分次第でしょ
とりあえず、やってみます!!

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